第24回 この社会を小学校にたとえると
「この社会を小学校にたとえると。」
とっても世の中がわかりやすいので、ちょっと説明いたします。
私たちはみんな小学生で、「この社会で学んでいるんだ。」ということにしてみます。
この学校を、「幸せになりたい」小学校と名付けましょう。
自分が幸せになるために、いつでも、どの科目からでも学ぶことができます。
1年から6年生まで混合クラスです。ある人が、「俺の幸せはムキムキな体にある!」と思って体育の授業に熱中している隣で、「私の幸せは絶対ブログにあるのよ。」と国語の授業を受けています。
みんなが自分の受けたい授業を自分の受けたい時に、受けています。
さあ、ところでここで現実に戻って、あなたの会社の部下がちっとも仕事をしないとします。
「何故あいつはやるべきことをやらないんだ!」
相当頭にきています。
でも、ここが「幸せになりたい」小学校だとしたら、全く違う見方になります。
あなたは、「やるべきことをする」「常識を守る」ことが幸せになるんじゃないかーというテーマで社会の授業を受け実践中です。
しかし、サボる彼は「真面目に仕事したって、幸せにはなりっこないよ。」というテーマで研究中なんです。反証検証中なんです。
違うテーマで研究中なんですから、怒ったって仕方がないんです。
彼に仕事をさせたかったら、仕事をちゃんとした方が断然彼が幸せになることを、彼にとっての幸せがそこにあることを証明してやらねばいけません。
そして実際、あなたの幸せはそこにあっても、彼の幸せはそこにはないかも知れないんです。
「なんでそんなこともわからないの?」
って怒ることもあるかと思います。
でもそれは、あなたが6年生で彼が1年生かも知れないんです。
必ずしも皆が同じレベルで出来なきゃいけない訳でも、できる訳でもないんです。
その科目が遅れていても、他の科目はあなたよりダントツ進んでるかも知れません。
だからその1教科だけでその人を判断しても仕方ありません。
同じことをしていても、各々が違う道筋で違うしあわせに向かって学んでいる途中なので、その内実は全く違うんです。
またある人が「私にとって音楽が全て!」と音楽の授業を受けて、6年生を修了したとします。
すると、思わぬときに大きな病気になったりして、別の授業が始まるのです。
そうして、全ての科目をマスターし「幸せになりたい」小学校を卒業すると、「幸せ」に本当になって、そうしたらもうこの社会に帰ってこないんじゃないかな・・なんて思います。
世の中の人みんなこの学校の生徒だから、実は誰も上下なんてないんです。
どうですかこの考え方。
私は結構気に入っています。