第22回 人のスーツは着られない
誰かのスーツを借りて着たこと、ありますか?
もしそれが、その人に特別にあつらえられたものだったり、
長年着込んで、すかり馴染んだスーツだったら、
きっと何がしか、きつかったり、ゆるかったり、短かかったり、長かったり、
着にくくて、すぐ脱ぎたくて、よっぽど体型が似てないと着られないことはわかりますか?
こころの世界もおんなじなんです。
「こうしろ、ああしろ」
「こうしなさい、ああしなさい」
「このやり方がいいんだ、俺のやり方が正しいんだ」
こうやって、自分のやり方を相手に強要する人がいます。
それは、自分にとって最高のやり方は、他人にとっても最高だと勘違いしているんです。
自分のスーツを無理くり人に着せているんです。
そうしてうまく着られないと、着れない相手を罵ります。
でも、違いますよね。
自分のやり方がぴったりなのは自分だけです。
みんなに着せたいなら、学生服のように誰でも着られるようにしつらえておくか、
せめて相手の寸法に合わせてから、着せてやらないと。
それを、自分のきつきつなスーツを無理くり着せて、
相手は身動き取れなくて、お尻なんかが破けちゃって、
恥ずかしくて悲しくて、私のところにくるんです。
自分のやり方を「正しい」と思い込むと、モラハラになります。
自分の作った制服しか着ることを許さず、脱ぐことも許しません。
馬鹿馬鹿しいです。
馬鹿馬鹿しすぎる。
でも、見えないから。
知らないから。
目標が達成できるのなら、
みんなが好きな格好をして、
好きなやり方でやってみるのはどうでしょう。
「とんでもない」とあなたはいうかもしれませんが、
「とんでもなく」素晴らしいことが起こるのではないですか?
「とんでもなく」斬新で、
「とんでもなく」楽しいことが。
きつきつのスーツに絞め殺されるよりずっと素晴らしいことが。