第2回 腸の歴史
私が医学部時代に習った腸の知識といえば、腸は胃で消化した食べ物をさらに吸収する。
小腸と大腸のつなぎ目にある虫垂は進化の遺物(だからいらない)。
乳酸菌などの腸内細菌が消化吸収に役立っているらしいが詳細不明。
こんなもので卒業し、つい最近まで疑問さえ持ちませんでした。
腸内細菌のほとんどは嫌気性菌(空気の中では生きられない)なため、
取り出して培養できず注目もされていませんでした。
まして、寄生虫は百害あって一利なしと思われ、こぞって駆除しました。
ところが、ところがです。
自分の免疫機構の70%を腸が担っており、虫垂がその監視維持センターだとしたら?
自分だけで生きていると思っていたら、個体を維持するための多くの機能を腸内細菌に
外注共生して生きていることが分かったら?
どんな腸内細菌を持っているかが痩せる太るに影響したり、
自分の感情さえ腸内細菌の影響を受けているとしたら?
歴史を紐解けば、20万年前に人類が始まって以来、ずっと私たちは細菌とともに生きてきました。
というか、酵母や細菌たちは36億年前から生きており、私たちが生意気な新参者なのです。
ですから初めのうちは戦いでした。
口から摂るものには全て細菌がついており、やっつけたり負けたりしながら、
いつの間にか共生関係を多くの菌やウィルス、寄生虫たちと結んだのです。
人のDNA解析が進み、2003年、人間の全ての遺伝子の解析が終了したとともに
腸内細菌も死菌を解析し、その歴史が分かってきました。
人間の細胞は37兆個。腸内細菌は100兆個でその種類は数千種におよび、
「私」という個体を総合的に見た場合、人間の部分は3分の1程度しかないのです。
彼らは一体、何をしているか?
遺伝子解析で分かった興味深いことがあります。
マウスの遺伝子総数は2万3000個。
小麦の遺伝子は2万6000個
ミジンコは3万1000個でした。
では、ヒトは?
科学者たちの予想平均は5万5000個でした。
ところが、人間の遺伝子は線虫とほぼ同じ2万1000個しかなかったのです。
私がミジンコより劣る?
ちょっとプライドが傷つきます。
どういうことか?
腸内細菌も「私」という個体の一部として数えた場合、その遺伝子数は
一気に440万個まで跳ね上がるのです。
この400万を超える遺伝子が、ヒト遺伝子と協力して人間を動かしていることが
分かってきたのです。
私たちに比べ彼らのライフサイクルは圧倒的に早い。
ということは、変異しやすくいろいろな形質を獲得しやすい。
だから、脳の働きに必要なビタミンB12を作るための遺伝子が人間に無くても、
クラブシエラという腸内細菌がこの仕事を代わりにやってくれています。
バクテロイデス族は腸壁を作る手伝いまでしてくれます。
自分の持っている腸内細菌によって、何を消化し何が産生できるかが決定づけられるため、
自分の持つ腸内細菌の組成により、太るか痩せるかさえも決まってくるのです。
無知ゆえの典型的な悲劇はコアラたちにも起こりました。
動物園で飼育しているコアラが怪我をした時に、飼育員は抗生剤を与えました。
しかし、抗生剤を与えたコアラは、傷が治るものの決まってユーカリを食べなくなり
衰弱死してしまいます。
どうしてか?
そうです。コアラがユーカリを消化していたわけではありません。
コアラの腸にいた腸内細菌が、ユーカリを消化していたからです。
抗生剤が腸内細菌を殺し、そのためコアラはユーカリを消化できなくなり死んでしまったのです。
人ごとではありません。
腸内細菌は歴史の中で同盟を結んだ仲間であり、腸に豊かな森を作っています。
このほんの100年足らずで抗生剤というブルドーザーが、
防腐剤や農薬というコンクリートが森林を変えてしまいました。
生態系が乱れると、たとえ善玉と呼ばれていても過剰に繁殖し害を及ぼします。
ヘリコバクターピロリ菌でさえ、無くなってしまうと、胃酸が増え
逆流性食道炎が増えてしまうことが判明しています。
要は多様性とバランスなのです。
「イエローストーン国立公園の狼」という話をご存知でしょうか。
生態系が壊れてしまったアメリカのイエローストーン国立公園に、絶滅してしまった狼を
移植し見事に森を再生する、20世紀最大の実験と呼ばれる物語です。
これが私たちの腸に必要なことです。
寄生虫でさえ、共生の仲間であり、うまく寄生虫を腸内に戻して強制できれば、
アレルギーや自己免疫疾患が脅威的に良くなることがわかっているのです。
まるで、腸内細菌という森のオオカミのよう。
外の世界では、農薬によりミツバチも瀕死の状態になっています。
苦労しても、自然栽培のような農薬を使わない育て方、抗生剤や防腐剤を使わない生き方
を選ぶことが、結局は最も豊かな生き方になります。
私たちは森をお腹に持つ、りんごの木。
細菌という仲間をもう一度迎え入れるために何をするのか、考えてみてほしいと思います。