第39回『どん底の時は』
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うまくいかない時、非難された時、失敗した時、 どうしようもない時にあなたはどうするでしょう。 自分を責める 相手を責める 同じことを繰り返し繰り返し考え、その怒り、その悲しみ、その恐怖 で一歩も動けなくなり、ただただ沈んでいく。 そんな最悪のところから抜け出すには、いったいどうしたらいいでしょうか。 思考は行動の設計図です。 行動できない思考に囚われると、同じところをぐるぐる回り、深掘れして堕ちていってしまいます。 ですから、思考のドツボにハマった時、 そんな時は頭が真っ白になるような、そんな行動をしてください。 ただひたすら書き続ける、打ち続ける、磨き続ける、走り続ける。 無心に何かする時、あなたの中で鬱屈している負のエネルギーは別のルートで吐き出しされ、 昇華することで問題に対処しやすくなります。 頭でなく、体にアプローチする。 ひたすら走り続けていると、途中でポンと答えがやってきたりします。 もし、自分のこころにアプローチしたかったら、あなたががんじがらめにになっている、 その感情を味わい尽くしてみてください。 なんでも、し尽くせば終わっていくのです。 感情は、思考の源泉です。 その後悔が、その恥辱が、その恐怖が、その怒りが、あなたをがんじがらめにしているなら、「 私がいけないんだ」とか、「あいつが許せない」とか、「一体どうしたらいいんだ」とかいう思考に囚われないで、ただただ、その怒りや悲しみ、誰のせいでもない、自分の中の純粋な感情に、身を置いてください。 そして、その感情が自分に何をもたらしたか、その感情がこれからの自分に必要か、判断してください。 一つ、例ををお話ししましょう。 自分はなんの取り柄もないし、何にもうまくできないと思っている人がいます。 あることで、緊張のあまり失敗し、周囲から叱責と嘲笑を買い、体が燃えるほど恥ずかしく、あの場に身を置くなんて2度とできない、でもこのまま隠れていることもできないと悶々としているとします。 「なんで私はできないんだ」 「あんなに笑うことないじゃないか」 「どういう顔して、みんなの前に顔を出せばいいんだ」 などぐるぐる考え、考えるほど答えは見つからず、堕ちていきます。 そうした時に、「誰が」とか「なぜ」とか考えずに、ただ、その恥ずかしささや怒りに身を置くのです。 震えるほどの怒りと恥ずかしさ。 感情は胸に、思考は頭に、行動は体にと思ってください。 頭でぐるぐる考えていたのをやめて、こころに、感情に焦点を当てるのです。 真っ赤に燃えるその感情の中にいる時、この感情はこれからの私に必要か、私という人間はこれからもこの感情を持っていたいのか、このこころは私を幸せにするのか、自分に訊いてください。 「自分はどういうこころを持つ人間か」という問いです。 難しいですか? 「自分は劣っている」 「人を笑い物にする人は許せない」 という思考のルールが、あなたを怒りと恥辱で真っ赤に染めて苦しめています。 もし、あなたが、 「もうこれ以上苦しみたくない」 「怒りも恥辱もまっぴらだ」 と思い、この感情はもうたくさんだと心から思えば、綺麗さっぱり捨てられると申し上げているのです。 あなたにとっての第一義は、「怒りや恥辱にまみれないこと」になるからです。 これは、誰もあなたを叱らない、笑わないということではありません。 こんなに苦しむくらいなら、 自分が劣っていると思ったり、人を憎んだりするのはやめよう。 この、苦しむしかない思考のルールの方を変えようと決断することです。 わかりますか。 自分は劣っている。 だから人前で緊張する。 だから失敗する だから笑われる、叱られる。 だから、もっと自分は劣っていると思う。 という負のループの鎖を断ち切るのです。 落ち込むことをやめると決意する。 それを招いてきた、「自分は劣っている」というルールを捨て、 新しいルールを探す。 「誰だって、いいところ悪いところがある」 「人に優劣なんかない」 「人は人、私は私」 それは、新しい自分に相応しいものを採用してください。 そうやって、自分にいらない感情を手放すために、今まで教え込まれてきたルールの方を手放していくと、 驚くほど落ち込まなくなります。 それはそうですよね。 「落ち込まない」ルールを採用しているのですから。 普段はこんな大掛かりなことはなかなか出来ないし、気付きません。 負の感情に支配され、自分や他人を傷つけるのではなく、 どん底の時は、自分を苦しめている感情やルールに気付き、大改革するチャンスなのです。 心の奥底まで潜って、「自分がどうありたいのか」訊いてください。 自分を愛し、相手も愛せるルールを採用してください。 どういった感情を持ちたいのかは、実はあなたが決められるのです。