第2回 私なんか
僕はこころの世界の住人で、ここでは人は、思い込んだ通りの姿になる。
例えば「私なんか。」って呪文を自分にかけている人がここにいる。
(君のことか?)
こころの世界では、どう見えると思う?
そう。
這いつくばってる。
いじけて縮んでる。
地面に埋もれてる。(この場合すでに踏みつけられている。)
隠れてもう見えない。
君が「私なんか」って呟くたびに、君の中に詰まってたエネルギーが抜けちゃって、しぼんじゃって、いじけちゃう。
見てるとお笑いだけれど本人はそれどころじゃない。
いつ誰に踏みつけられるかと、おどおどビクビクしてして、怖くて怖くて仕方がない。
周りがそんなに優れているか?
実はそうじゃあない。
自分で勝手にひれ伏しているんだ。
勝手に「劣っている。」と思い込んでいるんだよ。
優劣なん相対的なものだ。
「劣っている。」と思いたければ、100点取ったって毎回100点取ってる人から見れば劣ってるし、日本一になったって世界一に比べれば劣っているし、100億持っていたって1000億持ってる人から見れば劣ってる。
反対にかけっこでビリだって、走らなかった人より優れてるって言うことだってできるんだよ。
誰かが君に30点をつけて、隣の子に80点をつけたとしよう。
だから何?
だから君が劣っているの?
それはその誰かにとって君が30点だっただけで、君が「私は30点の価値しかないんだ。」とそのまんま受け取らなきゃどうだっていいんだ。
君は君に100点つけときゃいいんだってことがわからないの?
例えてみよう。
君がお気に入りの格好をしていたとする。
誰かが君に「それダサいな。」と言う。
すると君は慌ててその人の気にいる格好に着替えて気に入られようとする。
そうして歩いていると、また他の誰かから、「趣味ワル!」と言われる。
またうろたえて、その人の気にいる格好に着替えて褒められようとする。
ところが、また他の人に(もしくはさっきの人に)「何だそれ。」と言われる。
これを続けていくと、君はもはやどの格好をしたらいいかわからず、そのうち自分がどんな格好が好きだったかも忘れて自分を失ってしまう。
すると「私なんか。」が出来上がる。
「私なんか。」って言うのはあらゆる分野で君が負け越したことを表してる。
万人に好かれようとして、
そんなことはあり得ないから必ず失敗して、
いつの間にか「どうせ今度もダメだろう。」と自分を諦めて、
「私なんか。」と諦めることでこれ以上傷つくことから身を守っているんだ。
落ちようのないところにいたら、これ以上落ちないですむ。
それが今、君のいるところだ。
どうする?
それでいい?
僕は脱出方法を知ってるよ。
どうする?
って、偉そうに言っちゃったけど、脱出方法は君だって本当は知ってるんだ。
そう。
万人に好かれようとすること、
万人に勝とうとすること、
万人に認められようとすること、
これをやめろ。
これをやめて、ただ君らしく君の好きに生きてみたらいいんだ。
そうすると四面楚歌になるんじゃないかって?
そんなの怖くてできないって?
そんなことしたらみんなに嫌われる?
それは脳みその罠だ。
君が君らしく君の好きに生きていると、似たものが集まってくる。
仲間だったり友達だったり。
反対に君を気に入らない人も君が気に入らないものも遠ざかっていく。
道理だろ。
するといつの間にか、君の周りには君を気にいる人と君の気にいるものしかなくなる。それが君の世界になって、いつの間にか君の望みだった
「みんなに好かれたい。評価されたい。」って願いが叶うんだよ。
わかる?
君が、「人に気に入られなきゃいけない。」と言う脳みその思い込みに従って自分を偽ったことで、偽った君を好きな人が周りに集まって、
だから本当の君を見せると否定されちゃうから「私なんか。」になったんだ。
ただ君が、君らしく、君になれば良かったんだよ。
本当の君のなりたいものは外にあるんじゃなくて内にあるんだ。
自分が何を好きかってことを、脳みそじゃなく、こころで感じて。
見つからない?
思い出せない?
じゃあ、一つヒントを出そう。
もし君が、大金持ちで、健康で、誰からも認められてて、好きなことをしてよくて、
好きなことをしても誰も咎めないし笑わないし迷惑をかけないとすれば、
それが空想でも、妄想でもいい。
何がしたい?
何がしたかった?
もう、言い訳するのはやめるんだ。
そこに君の真実がある。